幼少期は家族6人川の字で寝ていた。平屋建ての長屋のような作りのアパートはとても賑やかで、近所の夫婦喧嘩では窓から家具が飛び出し、子どもたちは互いのおもちゃを奪い合った。
父が石工として独立してからは、バブルの波にも乗り好きなおもちゃも買ってもらえた。公営団地に引っ越してからは学年の隔て無く仲間と遊び、4つ上の6年生にケンカで負ければ待ち伏せしてカラーバットでやり返す。日が暮れるまでミニ四駆を走らせ、自伝車に乗り、カラーボールで野球をして、プラモデルを壊し合う。
ファミコンやビックリマンシールを貸し借りして、誰の物か分からなくなってまた喧嘩して、翌日には一緒に遊びまわる。女の子はぬいぐるみとシルバニアファミリーに夢中だ。姉はといえば工藤静香のカセットテープを聞き前髪をくるくると巻いて、窓付きエアコンの部屋から弟を追い出して姉妹で恋話に花を咲かせる。
ちなみに団地の抽選でクジを引いたのは3つ下の妹で、それ以来妹はくじ運が強い星の下に生まれたと信じこんで人生を送ることになった。
昭和63年。
ドラクエⅢが発売され、ヒットチャートを光GENJIが独占し、トシちゃんが教師としてビンビンいわせていた当時。僕もご多分に漏れずローラースケートにも夢中になり、バク転の練習をしていて手を骨折した。
4階建ての団地を素手でよじ登り、最上階の知らない人の家のベランダにゴールする。骨折したって本人も友達も関係なしだ。
あの頃の僕には友達がいた。それは友達だよね?なんて聞き合うことはない共同体ともいえる友達たちだった。一番年上の二人は兄貴気質の関ちゃんとガリ勉な阿部くん。同い年の林くんにひとつ下の良くん。ガンダムオタクで二人でしか遊ばなかったひとつ上のナベちゃん。
そこには楽しさだけじゃなく”嘘”や”裏切り”もあった。誰かと画策して仕返ししたり、下級生に嘘の情報を言って得意気になったりもした。爆弾坂を越えて買いに行ったペットボトルの天然水に首を傾げ、みんなで毎日ビックリマンチョコを買いに行った。
僕にとっての幼少期は古き良き時代だ。
母が他界する何年か前に、姉が経営していたスナックでガンダムオタクだったナベちゃんのお母さんとたまたま会った。『あの頃一緒に遊んでくれてありがとうね』と言って私の手を強く握ったまま、目には薄っすらと涙を浮かべていた。今思えばあの頃のナベちゃんは独特だったし、もしかするといじめられっ子だったのかもしれない。
聞けばナベちゃんは何かの研究の仕事をしているらしかった。ナベちゃんらしいなと思った。幼少期には自分のルーツが垣間見えることがある。兄貴気質だった関ちゃんは営業か自営業でもやっているかもしれない。ガリ勉の阿部くんは学校の先生だろうか。林くんはお父さんと同じ料理人が似合うし、良くんは明るかったから何でもこなしそうだ。
そんな風に考えるのに、自分のルーツが思い浮かばない。もしもあの頃の友達に会えるなら、お互いが将来何になりそうだったか言い合ってみたいものだ。そうすれば自分が何に無理をしてきたのかが分かるような気がする。良くも悪くも剥き出しで付き合っていたのは、きっとあの頃が最後だったと思うのだ。
相手が自分を映す鏡だとするならば、新しい鏡に映った自分の姿に子どもは驚く。
友達も親も側にいなくなった子どもは、自分の認識と新しい鏡に映った姿との違いに戸惑う。『親戚の中でお前だけ何者になりたいのかが分からない』叔父さんにそう言われたことがある。もしかしたら、あの頃に失くした鏡に映っていた自分の姿を、私は今も思い出そうとしているのかもしれない。