8月29日 AM6:50
台風の接近を感じさせる淀んだ空。
「おはよ」
助手席に乗り込んだ父に、軽く挨拶をしてギアをドライブに入れる。
私と父を乗せて白のレクサスはゆっくりと動き出した。今日は2回目の抗癌剤投与の日だ。この車はゴルフが趣味の父が購入した自慢の愛車でもある。
ゴルフ場に行くのに高級車でなければならない理由などないだろうが、父にとってはこの車で行くことも趣味の一貫なんだろうなと思う。
調子はどう?と話しかけながら父の血色を伺う。露骨にならないように気をつけながら注視したその顔には、1週間前のような不健康さはなくなっていた。
「なんともねえ」
話すその声にはまだ若干掠れはあるものの、元々の声を知っている人間でなければ気がつかない程度まで回復していた。
少し重い空気のままいくつかの世間話をした後、気になっていた質問を切り出す。
「仕事どうするか決めたの?」
「やるよ」
父は迷いなく答え、やんなきゃしょうがねえだろ。と続けた。
AM7:40
到着したがんセンターはまだ空いていて、8時からはじまる血液検査は3番目で受けることができた。その後のレントゲンが8時半から、診察が9時からの予定だったが、検査機に不具合があったらしく診察を受けるまで1時間半も待たされた。
どうなってんだよ。そう悪態をつく父を見て、私は少し安心する。
ようやく始まった診察で担当医から経過が順調だという説明を受けた。柔らかい物腰で話をする先生が履いたナイキのスニーカーに、なんとなく目をやりながら話を聞いた。
そうして抗癌剤の投与は結局10時半過ぎからになった。そこから5時間掛けて3種類の抗癌剤をここで投与した後、最後の抗癌剤を48時間掛けて自宅で投与するという流れだ。
一回帰れば?という父の提案には、本でも読んでるからいいよと答えた。
少し経って担当の薬剤師さんが説明にきた。先生と同じように経過が順調という話をした後に副作用のことに触れる。
「これから手先に痺れが出ると思います。日常生活に支障をきたすような症状が出たら、投与を少しお休みしたりするので教えて下さい」
副作用があまり出ていない父にとっては想定外の話だったが、親子で黙って聞くしかなかった。
PM1:30
タバコでも吸ってくる。薄目でテレビを見ていた父にそう告げて、私は近くのコンビニに行くことにした。
外に出ると、まるで沖縄かのような高い青空になっていた。
敷地内全面禁煙のがんセンターから逃げるように向かったファミリーマートには、店の脇に2つの灰皿とベンチが置かれていた。逃亡者の行き着く先はきっと皆同じなのだろう。
購入したジュースを飲みながら、タバコを吸い、空を眺める。雲がはやい。
そこには私と同じように病院から逃げ出してきたらしき人の他に、忙しなく電話をしているサラリーマンもいた。置かれたベンチは午前中の雨で少し濡れているので誰も座ろうとはしない。
空と人を交互に眺めながら2本目のタバコに火をつける。するとベンチに腰を下ろす人の気配がした。私はベンチと灰皿の間に立っていて、その逆側に誰かが座った気配だ。
濡れないのかな?と思い目をやると、そこには空を眺める男性がいた。歳は70前くらいだろうか。確かに今日の空は目を奪われるほどに魅力的だった。
「すげえ空だなあ」
私にぎりぎり聞こえるくらいの音量で、独り言のように男性が呟く。
「見事な空ですね。」
話し掛けられているような気がして、私も空を眺めながらそう呟く。
男性はこちらを向き、私と顔を合わせる。極力自然に見えるよう体の力を抜き、私は少し広角を上げた。
台風なんて嘘みてえだな。ほんとですね。と、2人は世間話を始める。なんとなく病院から来たのだろうなと思い様子を伺うが、肌のつやや目の強さから見て本人が病気というわけではなさそうだ。
「病院ですか?」
「ああ、知り合いの付き添いでなぁ」
私が少し父の病気について話すと、その知り合いの方が喉頭がんだと教えてくれた。声帯を取ってしまって喋ることもできない。がんってのは酷だよなと漏らす。スポルディングのスニーカーに折り目のついたスラックスの組み合わせに世代を感じた。
それから癌で他界した親父さんの話になり、その時に治療を受けていたという築地のがんセンターの話になった。昔はがんセンターに行くための紹介状を書いてもらうのにも医者に金を握らせなくてはならなくて大変だった。結局金ばっかり掛かって大変だっただろうな、お袋は何も言わなかったけど土地を売ったりしていたから大変だったんだと思うよ。男性はそう言うと思いだしながら話を続ける。
築地のがんセンターが昔は海軍の病院だった話。以前に息子さんが病名不明の病気になった時に処方された1錠10万円の薬の話。禁煙した時の話。そこから築地周辺で働いていた時の仕事についての話になった。
「仕事中でもタバコ吸うのが当たり前だった時代ですよね?」
そう私が聞くと
「ああ、でも俺の仕事はタバコが様にならない仕事だったからなぁ」
と男性は答えた。
話を聞いてみると現役の頃はハイヤーの運転手だったそうだ。バブルの頃には羽振りのいい女社長の専任だったらしい。
「あの頃は金が舞っててな」
とある有名な雑誌の編集社の社長だったという人の逸話だ。30年前のことでなかなか出てこない単語に、あーなんつったかなぁ。を連呼しながら話は進む。
毎回チップを渡していたホテルマンが一等地のマンションを購入した話が印象に残っているようで、その女社長がばら撒いたチップの数々についての話しが続いた。
「でもタバコ嫌いでな、あなたさっきまでタバコ吸ってたでしょ!とよく怒られたもんだ」
一呼吸置いて空を見る。
「それでももう来なくていいとは言わなかったよ。そういう意味ではあの人も苦労人だったんだろうなぁ」
とこぼした。
それからまた少し話をして、小一時間くらい立ち話をした後、そろそろ行きますと私は頭を下げた。
「ああ、つまんねえ話すまなかったな」
そう困ったような笑顔で話す男性に、いえ面白かったです。と答え私は再び頭を下げた。
PM2:30
信号待ちをしながら空を見上げる。
病院を増設するクレーンよりも遥かに高い空が、私たちを笑っているように見えた。
PM4:40
「もうこんな車もいらねえな」
帰りの車の中で、カテーテルを埋め込んだ父にはもうゴルフが出来ないことを知った。
いつものように愛車の機能を自慢する父。寂しそうに見えなかったのは、寂しそうな父を見たくないという私の願望だったのかもしれない。
明日は台風が接近するらしい。
それが嘘みたいな青空。
台風が過ぎ去ったら、きっと嘘みたいに晴れるのだろう。
また私たちを笑っているような顔をして。
おしまい。